半分の証明

わたしが思ったことをつらつらと。各記事の題名は中田裕二さんの歌詞からきてます。中身とつながりはないです。あしからず。登場する人物や団体は実際のものとは一切関係ありません。 Copyright (C) 2013- strikecamellia. All Rights Reserved.

いつも愛は試すように

昨日の文化の日は、友達の結婚式だった。

いつも、結婚式に行くと結婚したいと思うのだけど、

(おそらく)非嫡出子の私は、一般的な結婚式は出来ないと思う。

 

まず、招待状の名前は母さんだろうし、

バージンロードは一人で歩くだろうし、

親戚は勿論私が呼ぶのは母方だけだし、

生い立ちのビデオに誰と誰の間に生まれた、とかもないし。

最後両家のご両親が並んで、ってところにも欠けた場所があって。

その理由を、まっとうに説明出来ないのが、何よりつらいんだ。

半分しか証明できない、私。

まず、母さんが着物を着るところが想像できないし、体が悪いのに着て欲しいとも思えない。

 

普通じゃない家庭に生まれた私は普通じゃない式しかできない。

早く結婚したいけど、仕事したいし。

彼氏は結婚のことをちゃんと、具体的に、考えてくれているのかさえも分からない。

不確定な事を口にされるよりはいいけど、何を考えているのか分からないのも不満。

 

誰か、知らない人でもいいから、母子家庭の人の結婚式に出てみたい。

サークルの友達は家族ばらばらで、それが普通で、でも冠婚葬祭だけには集まるって言ってた。

中身はばらばらでも、沢山の人がいるところでは取りつくろえる方がまだいいとおもうのは、世間体を気にしてるから?

なんか書かないとおさまらないけど、書いているとつらくなるから悲しい。

 

あ。あと、

新約聖書のコリント人への第一の手紙の第13章4節から7節までが結婚式次第に載ってて、神父さんも読んだんだけど、そんなの愛じゃないよなーってのが私の感想です。少なくとも恋人の愛ではないね。夫婦でも難しい。…多分、神様から人間への愛とかそういう異次元のレベルだな。神父さんも愛は寛容であるとあるが、これまで宗教が他の宗教に対して寛容であったことがあっただろうか、そうであったら、世界の悲しい事は減ったんじゃないか、なんて言ってました。

ってか調べてみたら、やっぱりこの愛って神の愛みたいですね。

確かに、愛を神に入れ替えて読むと、納得するかも。

私はこれ、自分の結婚式で読まれたくないです。対等な夫婦の関係で、そんなのあり得ないと思うから。愛は高ぶらないって、それ愛じゃないよねって披露宴のあとに一緒にいった友達に話したら、情熱的だねって笑われました。

 

そうそう、楽天優勝おめでとう。

泣いて喜びました。

地震のあった日から、楽天にしろベガルタにしろ、きっと東北の光になることを、目標としてきたんだろう。それはどんな雀の涙ほどの光でもいいんだよね。

たとえば、死にたかった人が、あぁ、楽天優勝しそうだ、結果が気になるからもう少し頑張ってみよう、ってほんの少しでも思えたら、それでいいのよね。

それは、芸術でも、スポーツでも、文学でも、同じよ。

私は、人間は人間のしたことでしか感動できないと思うから。

自然を見ても、私はきっとあまり感動しない。感動って言うか、ヒトはちっぽけね、って思って感心する。

私は涙もろいけど、それは何でも人が作ったり行ったことだけだよ。

 

プリズム